東大精密から応物実験が消えた〜大学の矛盾の象徴

 

私事で、しかも、40年程前の学生時代のことで恐縮だが、当時在籍した東大の精密機械工学科では、「応用物理実験」という選択科目があった。精密機械というと、機械系学科と一緒にされがちだが、戦前が造兵学科であった歴史的経緯もあり、機械と応用物理や電気電子等の境界領域が多いカリキュラムであった。機械系との最大の違いは、流体力学や燃焼等であり、工学全般を総合的に学べる点が魅力だった。

 

その中で、応用物理実験は、他学科である物理工学科の教員による演習指導という珍しい(これは、今、大学教員という立場になるとよく分かる)科目で、源流は、寺田寅彦にまで遡り、今から考えても、実験装置などがオリジナルで、よく考えられ、自然現象を深く理解し、卒業論文のためにも、必要な知識を体得できた。1年生の教養学部時代に「物理実験」というものはあるが、より、応用的、実際的であり、また教員の指導も、他学科の学生なのに熱心で適切、我々も興味を持って取り組めた。

 

 当時、ハードからソフトへの流れもあり、実験を嫌う風潮、選択科目でもあったため、年々、履修者は減っており、負担を強いられていた物理工学科としても、あまり、人気が無いのなら、辞めたい、ということだったのだろう。しかし、精密学科としては、選択ではあるが、伝統ある実験であり、卒論をする上で必要なリテラシーを学べるということで、履修をしてほしかったのだろう。そこで、今でも鮮明に覚えているが、主任の教授だった吉川弘之先生が、学生を集め、「選択科目であるから強制はできないが、履修が少ないと、物理工学科に負担をお願いしていることもあり、伝統ある実験科目が君たちの代で、消えてしまうことが悲しい」というような話をされた。そこで、私が手をあげ、「我々の代で、消えるのは遺憾であり、私は履修する、是非、伝統の火を消さないため、皆で履修しようではないか」と皆の前で演説し、それで、クラスの大半が履修となった。先生方からは、感謝の意も含め、褒めて頂いた。

 

実際、名簿順で、前後の人と2人でペアを組むのだが、これが、大変、面白く、真面目に取り組んだ。いろいろな物理現象、機械、電気を、実験し、グラフ等で纏め、提出し、助手クラスの若い教官と議論するのだが、中でも覚えているのが、機械振動の共振を、周波数で観察するようなものである。そこで、周波数のピークが複数でて(いわば高調波)、最初は実験の誤差かと思ったら、矩形波を級数展開するわけで、その高次の周波数が見事に一致したのに、二人で痛く感動、教官も褒めてくらた。今から、思えば、自身の論文等、実績を上げ、雑用も多かっただろう若い教官が、よく他学科の実験指導に熱心に付き合ってくれたと感心すると共に感謝する。この経験が、学部修士での研究だけでなく、その後のアナリスト活動でも大変役に立っている、それゆえ、今も、実験マニュアルと当時の実験ノートは大事に保存してある。  

 

その想い出深い応用物理実験が、OB教授の恩師に、もう無くなったと聞いて大変ショックを受けた。背景は、大学の教員が忙しくなり、自身の研究実績を出さねばならぬことから、他学科の実験などの面倒も見れないということらしいが、もちろん、精密機械工学科の学生の志向も、さらに、変わったのかもしれない。いつから無くなったかが不明だが、これも、日本の研究力やモノ作り力の衰えの一因にはなっているだろう。

 

大学の教員の本務は、研究と教育、そして、大学の自治のためのマネジメントである。それが、年々、文書作成など雑用が増え、研究や教育の時間が無くなっている。大学というより、まさに役所であり、教授という名の官僚だ。これは、2017年から、理科大のMOTの教員としても、実感し驚いているところだ。確かに、研究か、教育か、というと二律背反のようだが、本来、パッケージ科された高校までの教育とは異なり、大学や大学院では、教員が自ら研究した成果を学生にぶつけ、共に議論することで、研究を深め、それが、学生への教育となっている。講義であれば、今や、スマホからユーチューブで、視聴できるし、単なる知識は教科書もあるし、更に、数年たてば忘れるだろう。しかし、実験や演習指導は、知識は忘れても、もっと大事なことが血となり肉となる。その意味では、研究と教育は両立すると信じている。しかし、最近は、形の上、量を稼ぐ研究業績や、官僚仕事のマネジメント業務が増えて、教育がおろそかになるようでは困る。却って、諸統計にも現れているように、真にオリジナルな研究は減っている。これは、MOTでも、他学部でも重要な課題だ。

 

丁度、先週、MOTペーパーという修士「論文」が終わったが、数人のゼミ生との2年近い関係の中で、特に、この数か月のペーパー作成の過程での、ロジックやオリジナリティ、実践性についての相互の厳しい議論や共同作業は、大学院ならではのものだったし、社会人学生も、講義だけでは身につかない大事なこと、いわば、仕上げる総合力を、体得できた、と満足そうであった。多くのMOTMBAでは、一見、コスパが悪い、こうした演習科目を無くし、講義を多くする傾向もあるようだが、私は反対だ。実験や演習、卒業論文こそ、教育効果が大きく、それが研究にも役立つはずだ。

 

寺田寅彦は、理科大が東京物理学校の頃の教員であり、東大での応用物理実験にも関わったという。私が理科大教員になった時に、精密での寺田寅彦の応用物理実験が無くなったことが、感慨深い。