2015年4月20日 双極型経営重心の東芝の重心外れディスカウントの悩み

拙著「経営重心」でも述べているように、東芝は、デバイス(半導体など)と、重電(原子力など)に双極を持つ珍しいタイプの企業である。

この30年間、多くの企業がポートフォリオを変える中で、東芝だけは、ほぼ同じであり、営業利益の内訳も、半導体メモリと原子力など発電が大変を占めてきた。元々、「マツダのランプ」で有名な電子管などデバイス事業に伝統がある東京電気と、重電の芝浦製作所が合併してできた会社であり、E&Eの東芝と言われるように、その伝統を守ってきた。他社と違ってシリコンサイクルの波で半導体部門が悪化しても重電側が介入することは無く相互不可侵であった。実際、他社では半導体部門の方々が「重電時間」への不満、重電部門の方々が半導体の「計画外れ」批判が多かったが、東芝では聞いたことがないし、相互に評価をしていた。それゆえ、ITバブル崩壊時に、NEC等の半導体部門との統合、カーブアウトが模索されいた時も東芝側は、半導体側も重電側も含め、それには反対であったと聞くし、エルピーダメモリ破綻の時も一緒になることに慎重だったのは、そういう背景があるのではないか。また、90年代半導体やPCの業績が好調で、重電が厳しかった時、撤退すべきの声があったが、半導体部門は否定的であった。

しかし、二つの大きく異なる「気質」のコア事業の重心(固有周期、固有桁数)をもつ企業の経営は、綱渡りでもありうまく二つのコア事業のパワーバランスをとり、人事や組織で気を遣い、リーダシップがあるトップが、遠心力と求心力を使い分けながら、微妙ないわばバンバン制御で、やりくりしてきたのも事実だろう。

二大政党政治や、源氏と平家、巨人阪神、など日本人は、二つの気質が異なるコアが並び立つシステムを好むが、それは無いものゆえの憧れか、現実は、米英と異なり、島国根性の多様性の狭さ故か、一方が巨大化してしまうのが歴史の現実である。実際、少なくとも、企業の経営重心においても、東芝のようなこれほど極端な双極型で長続きしている例は少ない。

 それでも、2005年くらいまでは、東芝は極端に異なる事業重心を持つ二つのコアの間に、PCやTVなど、中間的な事業を保有し、いわば第三のコアとなっていた。そして、会社全体の経営重心は、第三のコアであるPCの辺りに存在しており、西田氏の例のように、そこから社長を輩出、ある時期はPCこそが一番のコアと見なされたこともあり、株式市場でもPC関連と位置づけられたこともあった。いわば、90年代においては、両極端の事業重心の二つのコアの間に将来の成長性のあるコアが形成されつつあり、PCに続いて、DVDなどデジタルメディアへの期待があり、一つの大きな重心となり、半導体ではDRAMの競争力低下、重電も厳しい時代があったため、むしろ半導体と重電が、第三のコアに従属され、普通の「太陽系型」の経営重心のパターンに収束するような印象さえあった。

しかし、2000年以降は、PCTVは厳しさが続き、ケータイは譲渡、一方、DRAMからNANDへの転換に成功した半導体は、富士通から譲渡され拡大したHDDなども取り込み拡大、重電も、WHやランディスギアの買収で拡大、それまでと異なり、より二つの両極端のコアが膨張、その間が、空虚になってきている。そうなると、経営重心の位置には、もはや実態の事業は存在せず、重心が全体の平均的な企業の気質を表さないことになる(これは、もともと、重心なる概念が重心の周りに富士山、ガウス関数的に広がっていることを前提としたものであり、統計学の平均値や標準偏差の限界と同様である)

先日、経営重心について、ある大手機関投資家にプレゼンを行ったが、そこで、東芝の株価がさえないのは、こうした経営重心の構造にあるのではないか、という指摘があった。

そこで、よく考えると、かつて、コングロマリットディスカントというものがあったが、いわば東芝の場合も、「重心外れディスカウント」ともいえる状況になっているのではないか。

NANDに期待する投資家、重電に期待する投資家が、東芝に投資しても、そこはそれぞれの事業重心どころか、何もない空虚なところに、シフトされてしまうのである。90年代は、それが、たまたま、今後の期待されたPCやデジタルメディアであったので、また納得ができたのが、今は、何もないのである。

そこで、以下の仮説が考えられる。

事業重心それぞれに何からの固有なバリューションがあり、これを固有バリュエーションとすると、会社全体の企業価値は、

企業価値=Σ売上構成比×固有バリュエーション×事業の価値 (式1)

であり、これはよくある積み上げ方式の計算方式に近くい

これを経営重心で考えると、

企業価値=経営重心と同じ事業の固有バリュエーション×経営重心と同じ事業の価値/その事業の売上構成  (式2)

である。

この式1と式2は、CAPMの発想に近いが、式1と式2が等価となるための条件として、経営重心が、太陽系型であることが必要なのかもしれない。

しかし、実際の株式市場は、東芝に関しては、本来の(式1)よりは、(式2)を見ているようである。そうであるなら、次の認識ギャップの仮説が成り立つ。

仮説1:株式市場においての企業価値は、経営重心のある事業のバリュエーションに基づくことがあり、経営重心が太陽系型の場合は、実態と近いが、双極型の場合は、乖離し、いわば「重心外れディスカウント」が起こることがある。

 

このディスカウントの意味するところは、以下であるかもしれない。

第一に、ポートフォリオの各事業、特にグローバル化が顕著な半導体事業などは、同業他社との合従連衡などの遠心力が働き、それが、リーダーシップの欠落や、微妙な制御ミスで、もはや、企業の外に出てしまうリスクをカウントしている。

第二に、二つのコア間には、全くシナジーがないどころか、マイナスが大きい。

第三に、重電など社会インフラ系では、IoT化が起き、これまでにように個々の事業では把握できず、強く繋がった一つの事業として見るべきかもしれず、このコアがさらに大きく膨張して、半導体とのバランスが損なわれてしまい、これまた二つの会社に分裂するリスクである。同時に、この場合は、現在のセグメント分類が今後の実態に合わなくなる開示の課題でもあるかもしれない。

 また、ポートフォリオと経営重心に関連して、次のような仮説も考えられよう。

仮説2:ポートフォリオにおいては一見、収益に貢献していないが、重心が大きく異なる複数のコア間の緩衝材、両者を繋ぐような事業があり、それをリストラで無くすと、全体のバランスが崩れて不安定化する。そのため、企業は安定化を求め復元しようと緩衝材的な事業を作ろうとする。

 

 東芝においては、その存在が、PCTVであり、実際に、半導体と重電の間の存在であり、半導体の応用先でもあり、重電等のシステムの構成要素でもある。また、組織の上でも、PCは「情制本」の制御コンピュータから発展したが、スピードとボリュームを重視する意味では気質は半導体に近い。

 人物面でも、これら事業のトップを務めた西田氏は国際部門の出身であったが、半導体も重電も理解があった。また重電からPCTVを見て、半導体の企画も歴任した元専務、さらに研究所の出身だがPCTVはもちろん、半導体も重電にも理解が深かったトップ、半導体の出身だが、デジタルメディアを管掌した専務など、多くの橋渡し役がいた。その意味では、組織的にも、半導体と重電の相互理解の場として重要であったのかもしれない。

 東芝自体も、そうした緩衝材的事業が無くなり空虚になった領域を埋めないといけない不安があるのか、ヘルスケアや、H2事業など、新規を融合しつつ育成を急いでいるようだ。本来、この領域は中サイクル中ボリュームであり、日本が比較的強い領域である。東芝も子会社に東芝テックをもち消費の実データがあり、ビッグデータ事業に鍵となる。また、制御用コンピュータも本来東芝が強く、実データがある。ただ、外部、少なくとも投資家にはあまり伝わっていないようでる。

そうした新事業の成長、いわば第三の勢力が復活すれば、、極端な二つのコアの膨張で全体のバランスを欠いたり、遠心力が働きすぎて会社がバラバラになってしまうリスクを避ける効果があるのかもしれない。また、変革される研究開発体制の中の、何らかの全社組織が、新たな緩衝材、相互理解の場としての役割を担うのかもしれない。

 あるいは、企業価値を極大化するには、コアの二事業を分社化、60%程度を東芝持ち株会社が保有し、子会社化して上場させるのも手であろう。ただし、その場合、かつての松下電産と松下通信工業や松下電工、九州松下との関係のように、子会社合計の時価総額が、本体を上回ることになるかもしれない。そのロジックの延長線でいえば、太陽系型経営重心パターンである多くの企業は、子会社をバイバックする方が企業価値増大にプラスになる。


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