2015年6月14日カシオの経営重心~電卓戦争とケータイ・デジカメの勝敗を分けたもの~シャープへの教訓

1960年代後半から70年代の電卓戦争での勝者であったカシオが、2005年以降にスマホやデジカメで負けた理由について、会社側とも再度議論した。

 電卓戦争は、60年代後半に50万円以上した電卓が、50社を超える企業が参入、価格は1万円以下になり、生き残ったのはシャープとカシオだけだったという電卓市場の戦いであった。この過程で、インテルのMPUが誕生し、それに大きな貢献をした実質上、MPUを発明した嶋氏のビジコン社は倒産という激しいものであり、また、シャープは万博よりも電卓のため、半導体液晶工場を優先(千里でなく天理)した、など歴史的な話題が多い。現在は三菱電機傘下の大井電気なども参入していた。電卓戦争がなければ、半導体や液晶、太陽電池の市場の本格離陸もなかっただろう。

当時は、日米が中心であり、まだ韓国も台湾は電機どころではない。半導体産業(特にCMOSデジタル)は離陸中であり、アジア勢もなく、また為替レートや、月給レベルも違う、50年ほど前であるが、経営重心の考え方を適用みる。

「電子工業50年史」によると、1965年の生産量は5000台、18億円が、1970年に142万台、1000億円規模となり、1974年には1500万台、1800億円に達した、価格は毎年半分、数量は倍々ゲームであった。各社の主要新製品の投入サイクルは45年であった。その後、1975年以降は市場規模も台数も横ばいとなって普及は一巡、買換えが中心となっており、新製品の投入サイクルもやや鈍化、現実的には、57年前後の買換えだろう。国際競争という意味では、台数が1000万台~1億台以下、買換えが5年強というのは、日本の得意なゾーンであり、かつてPC、デジカメ、ケータイですら、このゾーンにあった時は日本が優位であった。また、現在のカシオが得意なポートフォリオである。

カシオによると、天才技術者でもあった樫尾俊雄氏が新製品に燃えて電卓に参入、当時としては大きな賭けであったようだ。量産力には自信があったわけではなかったが、6桁表示など新製品開発に成功した点が大きいという認識である。もちろん、そうした開発面の貢献が大きいが、大手電機やVBのビジコン等の敗退を考え、当時としては想像を絶し現在でも過酷な毎年半値というのに耐えられたのは、やはり量産力とコスト力もあってのことであろう。ただ、それでも1億台というレベルではない。

スマホの失敗は、当時、多くのアナリストも否定的だったが、カシオ側も認識しているように、ボリュームでは、やはり1億台を大きく超える規模では難しかったということだろうか。70年代初頭の1000万台が、現在なら、どの位に相当するかは難しいが、価格の下がり方からすれば、1億台以上に匹敵するような気がする。

それでは、スマホの開発体制が当時どうであったかというと、1キャリアに1チームであり、3キャリアゆえ常時3チームだったようだ。これが買換えサイクルあるいは新製品の投入サイクルには厳しかったのではないだろうか。

90年代半ば、PCでは、東芝が、ノートでは、常時2チームはあり、それを使い分けて、新製品投入サイクルに併せていた。2000年頃はノキアでは5チーム以上はあったという。何度も失敗するチームは、クビになる。最近では、アップルは、10チーム以上がiPhoneで同時に、並行開発しているようで、それゆえ、次機種の噂で、いろいろな技術の採用や、バージョンが出てくるのである。1-2年で新製品を投入するにはタイミングと締め切りが重要であり、ちょっとの遅れもマーケィングでは致命的になる。他方、新技術を採用する場合には、やってみないとわからない点もあり、最後に躓いて、タイミングを遅らせるわけにはいかない。それゆえ、リスク分散で、iPhone7なら7で複数のチームで、ダメなら、マイナーバージョンを採用したり、ひどい場合は、中止させ、外から見れば、まずまずの新製品が1-2年で出てくるように演出しているのである。かつて90年代後半は日本のケータイでは発売延期がよくあったが、それは1機種1チームで、「必勝、かならず成功させる」という失敗リスクを考えない開発体制だからであろう。新製品のサイクルが5年くらいだと、それでも何とか調整できるが、1-2年だと、難しい。当然、最後に遅れまいと頑張るとソフトの開発費も膨らむ。工場での初期立ち上げも苦労するのである。

ライバルが、そういう圧倒的な開発リソースでやっている中(しかもオープンイノベーション)では、短期での開発や立ち上げは厳しかった。もしやるのであれば、1機種に絞り、せめて2チームを同時並行で配置させるべきだったろう。

デジカメの事情はやや異なる。そもそもが90年代半ばに業界先駆けて「QV10」を出したが、やや早すぎた。その後、カードサイズ「S1」を出したりしたが、振るわなかった。ここまでは、そういう離陸前によくある背景だろう。

2000年以降の敗因は、「カシオは本来ニッチトップであり、大量生産には弱いのでデジカメでダメだった」という認識を持っているが、違和感がある。そもそもデジカメは、2005年前に、みずほ証券で同僚の桂氏が将来、5000万台以上、1億台もありうるというレポートを書く過程で一緒に取材したり、議論したので覚えているが、当時は離陸したばかりであり、銀塩カメラの5000万台ピークを抜けない、1億台なんて無理だろうという反応が多かった。まさに、当時少し前に、私が液晶TV1億台以上になると書いたが、まだブラウン管も健在であり、PDPもあり、液晶は5000万台がいいところというのが日本のコンセンサスであった(韓国は同意してくれた)が、これと同じである。いずれにせよ、カシオがいうような巨大市場ではなく、ニッチを脱する程度であり、本来は、数量では、カシオの得意なゾーンであった。やはり、問題は、サイクルの問題に帰着するように思う。ただ、最近は、デジカメも市場の急成長は一巡し、買換えも落ち着き、本来の商品力が問われる時代になった。カシオは1000万台規模を安定して維持し、黒字化も達成した。5チーム程度の体制のようだが、ライバルが日本中心であり、再び、カシオが得意なゾーンに戻りつつあるかもしれない。

新製品開発においても、1-2年で買換えを期待するものか、4年、5年使ってもらうか、白物家電のように10年は使い続けるのかで、設計思想も異なるだろうし、採用する部品の信頼性やスペックも変わってくる。また、そこには、会社のDNAが反映されよう。カシオが今後注力する、電卓、辞書、楽器を統合した教育分野は、やはり510年使い続ける特性のものも多い。時計も、アップルウォッチは最初は買っても、スマホのように2年で買い換えるようなものではない。ウェアラブルなど健康もそうである。体温計、血圧計も数年の個人のデータが蓄積されるゆえ、壊れるまで使うのが普通だろう。買換えが短縮されないなら、普及が一巡した段階で市場規模は飽和する。当然、事業のライフサイクルの考え方やビジネスモデル、新技術の採用ロードマップも変わってこよう。経営重心の発想は万能でも、それが唯一の解でもないが、考え方、発想の一つではあるとおもう。今後の事業戦略や見直しに参考になれば幸いである。

また、シャープは、今後の展開を考える上で、同時期に電卓戦争の勝者であるが、そこでの成功を思い出し、初心に戻ると共に、このカシオの教訓、時計や辞書等での成功例を参考にするといいだろう。