ここのところ、日本の半導体産業の苦境について再検証を試みている。90年代以降の栄光と衰退については、拙著「日本の電機産業に未来はあるのか」その他で分析、また、多くの方が論じている。
バックテストでない予測可能性と現場感のあるロジックを
これまで、多く論じられてきたロジックの中で、日本の半導体の凋落の原因については、ある程度、コンセンサスが形成されつつあるようだが、90年代に実際に、現場のトップと時代を共有した印象とは異なるものも多く、事実、当時の多くのトップは、書物になっている多くの本や論文には違和感があるとしている。経営学者も、成熟した過去について精緻な論理をたて、それは定量的かつ論述的にも説得力はあるが、論理から予測をすると、多くの場合外れていることが多くし、それ故か予測を避け、予測が外れた場合もフォローしないケースが多い。これでは、バックテスト、あるいは二流チャ―ティストの解説や占いの域を出ない。必要なのは、理工学的な予測能力(ニュートンの法則や幾何光学のように、所定の条件下で予測すべき現象が法則の通りになる)をもった説明である。その一つのアプローチは経営重心®であり、アナリストとしての多くの予測から、その妥当性は高いと思うが、これも、もちろん完全ではない。
2010年以降は、フォロワーと見做なしての分析が必要
特に、90年代の栄光からの転落の分析だけでなく、2005年以降、ある意味、負けてからの復活、再成長については、現在進行形でもあり、十分な議論はこれからだろう。簡単にいえば、リストラにより、収益性は改善したとしても、成長性や世界シャアでは低落が続いているのであり、今後の目指すべき姿、成長性かシェアか収益性のどれに重きを置くのか、再編の姿はどうか、考える必要があろう。当然、それは2000〜2010年までの、90年代の栄光の余韻がある時代とは異なって、自らをチャレンジャーとして認識、欧米、韓国・台湾にどう追いつくか、中国とどう向き合うか、という視点での分析となろう。
脱DRAMからフラッシュへ、システムLSIへ
さて、90年代に、日本の半導体は世界でトップの地位にあったが、あくまで市況品でプロセス技術が重要なDRAMがトップという背景ゆえであった。これに対し、中期的なビット成長の鈍化、インターフェイスのJEDEC標準化で製品設計よりコストがより重視される中で、プロセス技術のSPEへのシフトで韓国勢の追い上げが厳しい、などから、脱DRAMを急ぐべきだと主張してきた。
具体的には、DRAMがフローだけのメモリ需要であるのに対し、フローとストックの両面で、より成長性が高く、インターフェイス標準で独自性が出せるためコスト以外にも差別化が可能なNAND、NORのフラッシュメモリにシフトすべきだと論じた。同時に諮問委員を務めたSIRJではDRAM先物市場の創設を提案、当時在籍していたJPモルガンでも検討を開始していた。
システムLSIへ行くべきだという業界コンセンサスの中では、日本が優位であった家電向けのSHマイコンなどの展開を期待していた。脱DRAM、フラッシュメモリについては正しかったが、SHマイコンも含めシステムLSI戦略については、まだファブレス・ファウンドリモデルが離陸期であり、十分な論考・見通しが出せなかった。
再編の動きは早い面もあったが
2000年前後から、経産省や業界主導による国内再編の動きが、主として生産中心に、盛り上がったが、海外に比べ、キャパの効率性が不十分であり、かつ、ファブレス・ファウンドリモデルが急速に進む中で、経営重心®的な観点からも、垂直統合が難しいと感じており、デバイス部門をカーブアウト、合併・提携で、最低限の規模感は必要だと考えたが、いわゆるニッポン半導体で統合という動きには必ずしも賛成ではなかった。
半導体切り出しも早く300mmは市場のりのトレセンティとNECエレクトロニクス(現ルネサス)
ここで重要なのは、300mm化も、半導体部門のカーブアウトも決して遅くはないどころか、今は一般的には知られていないトレセンティは世界で300mmの一番乗りであり、UMCというTSMCに次ぐファウンドリ(当時は、今ほど、差はなく、ほぼTSMCとUMCは同等だった)と提携していた。
NECも、半導体部門の切り出しは早く、上場は、わずか9か月であり、2010年以降の再編の遅さや国内だけの温い動きとは対照的だ。上述したように、NECエレクトロニクスは上場時の評価は高かった。
NECエレクトロニクスのケース
NECエレクトロニクスの戦略について、上場後、業績が伸び悩む中で、当時、多くのアナリストが指摘したことは、①ファブレス・ファウンドリモデルの中で、垂直統合を続け、NECが70%弱を継続している親子上場の問題、②ファウンドリモデルが中途半端、生産を重視するようになってきたという問題だった。
事業3Dマップでの事業結合性から考察
こうした状況を事業の結合性から考慮すると、下図のマップのように、デバイスとセットをレイヤーでスライスすることが難しく、スライスすることで、セットもデバイスも、価値を失った可能性があるかもしれない。
デバイスIDMモデルとしても、ファブレス・ファウンドリモデルとしても、中途半端であった。
会社の分割の形から妥当だったか
半導体部門のカーブアウトは、当時、再編の形としても注目されたが、NECが選択したのは、下図で、新設分割・分社型分割である。
日立・トレセンティのケース
日立、あるいは、そういうファウンドリモデルの本質をある程度、理解はしており、また、日立には、PCやケータイも少なく、NECのような利益相反はなく、またファウンドリ大手のUMCとの提携も良かった。しかし、UMCとの提携解消後が、不透明であった。
2003年以降、迷走
2003年にルネサスとなってからは、更に迷走しているように感じた。2000年前後のスピード感、ある程度の国際性に対し、2005年以降の動きは、まさに現在の苦境の理由であろう。再編ありき、ニッポン連合ありき、に拘りすぎた。
教訓
少なくとも、ここまでの論考の教訓は、①グローバルでの再編を念頭に、②ファウンドリをやるなら、親子上場や単純な垂直統合は厳しい、③何であれ株主が70%近くあると難しい、などであろう。これを踏まえ、現在、新しい疑似垂直統合の流れを考慮しつつ、メモリで、まだ競争力がある東芝セミコン、同様の形だが、ファウンドリ要素は小さくなってきたルネサス、ファブレスモデルであるソシオネクストを考察したい。