京都は何故イノベーティブか〜「まあ言うたら」

 

私が、「プロピッカー」となっている、ニュースピックス(スマホ系で、会員数トップのニュースサイト、オリジナル記事もあるが、いろいろな記事をピックし、読者によるコメントが参考になる、その中で、ニュースピックス側の依頼で、専門分野でコメントするのがプロピッカー)で、京都に関する特集が出ている。https://newspicks.com/news/3663386/body/ この特集「京都が強い」取材を受け、多数の企業を、紹介した。今回、下記でコメント引用された。

 

特集:京都が強い

 

00【新】世界を密かに「牛耳る」京都企業の秘密

 

01【超図解】京都発、「100年見据える」ベンチャーが世界で勝つ

 

02【実録】孫正義が頼った豪腕、永守重信の凄み

 

03【村田恒夫】京都では創業75年なんて、ベンチャーだ

 

04【沸騰】なぜエンジニア採用の「切り札」が京都なのか

 

05【分析】アップルショックで、死ぬ企業、生き残る企業

 

06ノーベル賞技術を守るため、起業した403人組の覚悟

 

07【実録】北欧に一人で先端拠点を若手社員の物語

 

08【堀場厚】京都が強い、本当の理由を教えよう

 

京都が何故、イノベ―ティブか、については、今回の特集にも出ており、既に多くの文献もある。アナリストとして、京都の企業でフォローしているのは、村田、京セラ、ローム、日本電産、ニチコン、日本写真印刷、第一精工など部品メーカーの他、オムロン、島津、スクリーン、堀場、GSユアサ、日新電機、グンゼなどであり、これらについてもコメントした。いずれも、素晴らしい魅力的な企業であり、10年以上、中には30年以上の御付き合いもある。東京での説明会も多く、年々それも増えているが、年に数回は、京都で訪問させて頂いている。工場見学も何度もあり、会食も多い。これ以外にも、未上場のベンチャーも含め、個性的な企業もある。

 

また、自分自身が、丹波の山奥の福知山とはいえ、京都府の出身であり、京都府立福知山高校までは、京都府で過ごし、恩師も、京大始め、京都の大学出身も多く、者親類や友人も、京都市内に多く、これまで、企業だけでなく、多くの方と京都について、議論する中で、京都の強さの背景は下記であろう。

 

京都の7つの強み

 

すなわち、①職住近接(工場が多い、しかも、ローム、島津、GSユアサ、日新電機などはメイン工場)、②寺社仏閣の装飾品や道具は、漆や金細工など元々ハイテクの塊、③京大はじめ、日本一でなく、世界一、を狙う(日本一は東大に任せる)独創的な(真似を嫌う)研究と地元での自主的な産学連携(京大、立命館など)が強い、④政府や政治との距離や反骨精神、天邪鬼・判官贔屓の気風、⑤観光地が多く外国人接待に便利(日本電産の初期のエピソードにある)、⑥商売感覚と職人的なモノ作りのバランス、⑦市内を自転車で回れる中での濃く狭い人間関係、である。これらは、相互に絡んでおり、①と③と⑦は関連するし、③と④と⑥も同様だろう。ここまで集積度が高い歴史的ハイテク都市は世界でも珍しいのではないか。

 

この中で、③と④に絡む気質や、そのベースにある関西弁について記したい。

 

天邪鬼と面白いこと真似しないこと

 

 自分は、京都において、天邪鬼反骨精神ゆえ、京大ではなく、敢えて、東大に行った面もあるが、そこでは、当初、やや考え方の戸惑いもあった。知らず知らずのうちに、身についた考え方は、面白さや独創性が最優先で、真似をしないことが当たり前だと思っていたが、東大では、研究室か、先輩にもよるが、権威を大事にするような気がした。

 

事実に対し、好奇心を持ち、まずは自分で考えたり、人を議論してから、先行研究などをチェックするというプロセスを踏むが、こちらでは、考えたり、議論する前に、理論や権威に聞くという感じだし、それは年々増えている感がある。これは、今、大学教員として指導する際に、オリジナリティが気になり、それが無い研究には厳しくなるが、そういう自身の文化的背景があるかもしれない。

 

まあ言うたら

 

 関西人が良く使う言葉に、「まあ、言うたら」というのがある。これは、「例えば」でも「すなわち」でもない。何かの概念を、自分なりに咀嚼、解釈し、ユーモアを交え、その中で、自分の意見を含めて、言うものだろう。それは、ある時、「例えば」にも、「すなわち」にも、場合によっては、「しかし」や「ところで」にもなる。

 

これは、東京で、現在人なら、難しい四文字熟語、アルファベットになるが、それは理解とか咀嚼でなく、関連する語彙を見つけて知ったかぶりをして、相手にアピールをしたり、分かった気になっているように思う。

 

例を言うと、「AIが人間の能力をこす」等というと、関西人なら、「まあ、言うたら、算盤が暗算に勝つようなもんやな」とか言うとすると、それを「シンギュラリティですね」と言うようなものだ。

 

言わば、権威による決めつけであり、分かったような思考停止になる。前者は、易しく自分の言葉で言い換え、議論を発散させるのに対し、後者は議論の余地を与えず収束し押さえつける。

 

これは、最近、スマホ時代か塾教育のせいか、そういう傾向が強いように思う。やたら、カタカタ言葉は知っているが、その中身は知らない場合が多い。こういう日頃の会話のスタイルに、イノベーションを起す何かもあるかもしれない。