ケーススタディ、先行事例の功罪、5W1Hが変われば参考にならない

ケーススタディは、ハーバードビジネススクールが考案した傑作である。本来は、数年や10数年にわたる複雑かつ個人の事情や偶然要素も重なる企業の経営を、その「本質」だけを抽出して、数頁、数時間の授業で理解し、経営をしたこともない、会社経験のない学生でも、経営が解った気になる、というものである。経営を教える場合に、細分化された、戦略、組織、マーケティング、といった科目で学ぶだけでなく、それらを横断して、総合的に考察できることも素晴らしい。

 ただ、問題は、数年数十年に亘り運や偶然、個別性もある複雑な経営から、如何に本質を抽出できるか、であり、それは、森羅万象から普遍的法則を見つける自然科学と似ているようで、大きく異なる点もある。いわば、近似の仕方、エッセンスが成立する条件をどう設定するか、である。特に経営は、多様な人間が行う結果であり、運の要素や個別性も極めて高い。マーケティングが成功だったと思っていたら、実際は社長の縁戚を利用したという場合もあろう。

それゆえ、5W1Hの視点で、ケースを考えるべきだが、ケーススタディでは、より普遍性を求めるため、戦略などのHにフォーカスを置き、Whoや、WhenWhereといった状況などは重視されにくい傾向にある。ベンチャーの成功は、本人の精神力、七転び八起きのチャレンジ精神や、タイミング次第というが、そういう要素は無視されやすく、他にも通用する戦略を浮き上がらせ、これが誤解のもとになる。

また、ケーススタディには会社側の協力が必要だが、いい話、語りたい自慢話は出てくるが、機密だが重要な要因などは出てこない。日経の「私の履歴書」は面白いが、大河ドラマのようなものだ。外に出てくる話だけを抽出して、一般理論とすると、運や個別性を排除して、だんだん、実態から乖離してくる。

経営学のケーススタディだけでなく、実際のビジネスにおいても、先行事例の研究は重要だが、これも5W1Hが変われば、成立しない場合も多い。実際の経営を知り、会社生活の経験があり、現場現実を知っていれば、そういうことを分かった上で、ケーススタディも先行事例も参考にするのはいいが、最近は、ケーススタディや先行事例を普遍的真実だと信じる人間も増えており、困惑する。

野中郁次郎も云っているように、失敗のケーススタディはリサーチが難しいが、そこにこそ、普遍的な真実が多いだろう。