2016年2月27日 沖電気のEMS事業と本庄工場見学~鴻海とは真逆の日本のモノ作りの在り方

 

本庄の桜は枯れなかった

 

 沖電気(以下OKI)EMS事業は絶望の崖から始まった。2002年、ITバブル崩壊の中で、厳しい経営状況に追い込まれたOKIは、電電ファミリーの一角として交換機や伝送装置、あるいはATM機器の主力の歴史ある高崎や本庄工場など国内生産拠点を見直した。当時は円高も進み、世界でファブレスモデル、ソレクトロン等EMSが台頭し、あるいは、地産池消の中で、ATM等は中国生産、さらにコスト低減を求めアジア進出が当然であり、OKIに限らず、殆どの電機メーカーが国内工場、特に組立系の工場をリストラ、国内工場閉鎖が相次ぎ、それが当然という風潮であった。

 

そういう絶望の中からOKIEMS事業は始まった。売上ゼロ、現在顧問となった清水氏以下、4人からの出発である。清水氏は90年代から米国でのソレクトロン等EMSの台頭から、いずれ日本も同様になると予見、OKIにおいてメカトロ系のATMやプリンタは垂直統合、地産池消でモノ作りが残るが、OKIのメインの電子機器系においては、このままではモノ作りが消え去ってしまうとう危機感と、日本でもEMS化、水平統合が起きるという確信から、OKIの歴史だけでなく日本の大手電機メーカーでも初めてのEMS事業を始めたのである。

 

しかし、EMS事業、組立モノ作り系はスマイルカーブの底辺、鴻海も含め、OKIの売上規模を遙かに上回るEMS大手でもOpm3%程度であり、規模に劣るOKIでは、それも容易ではないことは明らかであり、全社目標の5%には程遠い。

 

桜の木は、移植が難しく、枯れやすいそうだ。2002年、本庄工場の事務棟前に移植された桜を見て、本庄EMSの明日を占うようだと思った人は少なくなかっただろう。しかし、桜は枯れず、毎年、少しずつ見事な花を咲かせ、幹も太くなり、大きい五本の根をおろしたのである。

 

2015年、今や正社員だけで1300人、派遣も含めると2200人を超え、会社の公表の最新計画では、売上460億円、OP25億円であり、過去数年も80円の円高にも耐え安定して利益を稼いでいる。5本の根のように、応用も、通信、産業、計測、エコ、医療の5分野に広がり、グループ会社もOKIアイディエス、OKIプリンテッドサーキット、長野OKIOKIサーキットテクノロジー、OKIコミュニケーションシステムズと5社となった。M&Aも多く、プリント基板では、田中貴金属や横河電機を統合している。拠点は、この本庄以外に、高崎、小諸、鶴岡、上越、所沢、青梅と広がり、地域経済にも貢献している。

 

OKIの日本型EMSは、Advancedを冠し、単に電子機器だけでなく、メカトロも得意だというアッピールもかねてM&EMSと呼ぶ。本庄地区では、G-PON等を生産している通信機部門と同居している。EMSで重要なのは、顧客情報の管理だが徹底しており、工場の生産エリアは分けられ、別部屋で隔離されており、営業所も分けられている。

 

 2014年度は売上403億円、OP20億円だったが、単独132億円、子会社271億円であり、設計を担うOKIアイディエスは設計人員100人、横河電機の青梅も買収しPCBを担うOKIプリンテッドサーキット、田中貴金属の部門を統合して特殊なハイエンド部門を担うOKIサーキットテクノロジー、長野OKI、送信局などインフラ系のOKIコミュニケーションからなる。

 

2015年度は売上460億円、OP25億円。毎年、10%程度以上、着実に伸びており、Opm5%を維持。来期は売上500億円を突破、中期の目標は売上1000億円であり、当然Opm5%を維持していく。

 

 応用分野で、やらないと決めているのが、台湾型EMSの領域であるスマホ、PCと、原発であり、経営重心®マップの右上と左下であり、納得がいく。コピーやプリンタは、既に手掛ける範囲だろうが、微妙なのが、白物家電やクルマだろう。また、感心させられたのがOKIの社内向けはやらないということだ。技術的にも社内向けは親和性があり容易だろうし、社内としてもコストを下げられるだろうが、それは甘えになり、顧客と関係も微妙になるからのようだ。OKIに属し将来の大きな柱となるため、上場もしない。