2016年6月18日 なぜ国家プロジェクトは予測が外れ実用化が難しいのか、研究開発の在り方を問う

 

凡そ30年前、野村総合研究所東京研究本部技術調査部に入って、自ら最初にやったテーマは、技術予測の成否だった。その頃から、科学技術庁や未来工学研究所が、大学など学者ら権威による科学技術予測を行っていたが、その予測自体の成否を検証するという試みはなく、上司だった森谷正規さんに、面白いことをやるね、と褒めてもらったのでよく覚えている。昔から、アナリストの予測はそれほど当たらず、また科学技術においても専門家の予想も外れることが多かった。シンクタンクの研究員にしろ、企業業績や株価を当てるアナリスト、為替やGDP成長率を当てるエコノミストにしろ、要は予想屋なのだから、最初にどういう分野、どういう場合に、当たりやすいどうかを調べるのは当然だと思ったが、当時アナリスト部隊はそういう検証をせず、科学技術についても、そういう研究は無かった。予想の当たり外れの是非の中に、企業や産業、技術の構造や本質が秘められている可能性があるとも思った。

 

技術予測の成否

 

やったことは、①技術を分類、分野による予測成否、②予測時期・期間による成否、である。当時でいえば、エレクトロニクスは当たり易く、エネルギーなどは難しい。

 

予測が当たった理由

 

 予測精度を上げるためには、こうした技術の特性を考慮して、調査することと、当たり難い分野は、予測しないか、曖昧にすることだ。アナリストとして、技術予測は当たるという評価であったが、それでも、86年の高温超電導は外れた。

 

なぜ政府や権威の予測が外れるか 

 

参考までに1991年の経済企画庁の予測や1960年の科学技術庁の予測を示すが、相対的にフェアに見てもかなり酷いことがわかるだろう。

 

国家プロジェクトが外れやすいのは本質か

 

 日本では、国家レベルでも企業レベルでも、リニアモデル信奉の下で、70年代後半から90年代にかけて、巨費をかけて投じた研究テーマが、超LSI研究組合など半導体関連を除いては、AI、第五世代コンピュータ、超電導、太陽電池、燃料電池などにも見られるようになかなか離陸しなかった。80年代後半に主流だった研究プロジェクトやテーマは、横並びが多かったが、当時の社会ニーズである「三つの不」、渋滞、通勤ラッシュ、住宅の高騰、病気、高齢化などといった、世の中に対する「不安」、「不満」、「不思議」に対応できているのか、それこそ、不安であり、不満であり、不思議であった(2000年への技術戦略(NRI 共著)」、「財界観測 90年代の新技術潮流」)

 

読みや目利きではなく、そもそも、国家プロジェクトにマッチしない

 

 これまでは、国家プロジェクトなどが外れ成功しないのは、彼らの目利き力や予測能力だと考えていたが、こうした技術予測の成否やR&Dマネジメントについて調査分析をする中で、もっと本質的構造的な問題があるのではないか、と考えて始めている。

約束されているのなら研究開発ではなく製造原価?

 

 そして、そもそも、5年後か10年後か、目標を決め、その通りに予め成功することが分かっているプロジェクトなど研究開発と言えるのだろうか。

予算主義が研究のための研究、予算取りための研究を継続し延命

 

「成功」している限りは、無駄な予算がつき、予算取りのための研究、研究のための研究が続き、「成功」をアッピールするために、数年、10年に一度、マスコミを煽り、ブームを起こし延命してきた面も大きいだろう。

R&Dとは

 

これまでは、R&Dは聖域であり、アナリストにとっても、数字をそのまま受け取り、それをアプリオリに分析してきたが、今後は、IFRS導入もあり、より中身を精査しなければならない。