研究所のあり方〜奥の院・聖域のコストセンターから独立へ

 

小学校5年生の作文で、大きくなったら何になるか、というよくあるテーマで、「シンクタンクに入る」と書いている。その後、就職では、野村総研、(㈱野村総合研究所)、三菱総研、理化学研究所、電総研など、研究所やシンクタンクを考えて、実際に野村総研に入った。その意味では、「研究所」に関して、ずっと考えてきた。

 

㈱野村総合研究所(野村総研)

 

野村総研の新入社員のときに、「研究所」研究を企画して、Nomura Searchという月刊誌に寄稿していたが、そのせいで、野村証券の経営企画から、ヒヤリングを受けた。テーマは、まさに、野村総研のあり方である。その後、88年に野村総研は野村コンピュータと合併したが、その頃から、野村の経営陣は、野村総研(外部向けコンサル、野村G向けリサーチ、政策提言、あと、生物化学研究所もあった)の採算性を危惧し、野村グループにおける「研究所」のあり方を議論したのだろう。結果的には、入社当時、無配で赤字だった野村総研は、コンサルとシステムのシナジー効果もあり、大きく成長し、上場、業績拡大を続けている。

 

株式会社としての研究所

 

 その時に、野村総研と同様に、研究所が独立していたのは、㈱富士通研究所(以下、富士通研)、㈱本田技術研究所であった。日立総研はあったが、やや位置付けは異なり、当時は、中研ブームでもあり、社内の中研や日立研がメインだった。

 

 時は流れて、30年後の今、日立では中研解体、総合電機も自前主義も、否定され、日本の電機も競争力を失い、オープンイノベーション、協創や共創が流行っている。かつては、総合電機の中研でも、デバイスのR&Dが中心だったが、今や、デバイス部門も、ハードも切り離され、もはや、研究成果の出口は、社内にはない。

 

 こうした今日、研究所はどうあるべきだろうか。出口をなくしたまま、R&Dを続けるのか。あるいは、R&Dのテーマを変えるのか。R&Dをやめるしかないのか。

 

オープンイノベーション時代に研究所は独立し価値を高める飛躍の機会だ

 実は、今、オープンイノベーション、協創のR&Dの時代に、研究所は、独立して、発展するチャンスだ。独立して、本社や事業部門と離れてこそ、多様な外部の企業や研究所と連携できる。