NAND型フラッシュメモリのイノベーション過程の考察

 

不正会計から財務危機などに発展した東芝の問題も、債務超過回避、上場維持、メモリ部門売却、独禁法認可、7000億円自社株買いなどが決定され、一段落、今後は、本体、メモリ社、それぞれの成長が鍵となる。そこで、重要なのは、2兆円の価値がついた東芝メモリの健闘であり、日本の電機メーカーが苦戦する中で、数少ないグローバル市場で、サムスンと伍してきた事業だ。しかしながら、この2年の空白は大きく、サムスンとの格差は開き、中国の長江ストレージ等が迫りつつある。今、一度、目先の利益は度外視しても、中期の技術動向を見据え、R&Dなど先行投資を断行しなければならない。

 

 その意味でも、この機に、過去のNANDフラッシュのイノベーションの過程を振り返ることは有意義であろう。マスコミ等が書いているフラッシュメモリ事業離陸やイノベーションについては、関係者の間でも、違和感があるとの指摘もある。NANDフラッシュに関しては、88-89年頃に、東芝では、当時の川西副社長や武石総研所長、NANDセル発明者の舛岡氏に数時間の取材や議論を何度か繰り返し、また、インテルのNOR型フラッシュ発明者のステファンライ氏、更に、シャープ、富士通など多くの関係者と面談して、「フラッシュメモリ市場は95年に3000億円(NOR中心)2000年に1兆円」とのレポートを執筆した。

 

NANDイノベーションの過程は迂回的

 

80年代後半のノートPCに代表される携帯情報機器市場離陸の中で、磁気ディスクでは、耐久性等で問題があり、半導体ストレージメモリの必要性は、液晶等FPD、電池と共に、盛り上がっていた。その中で、メモリの階層構造の中で、HDDFDD等の磁気ディスク、磁気テープを代替する低コストの不揮発メモリの開発が進められていた。

 

あらためて、NANDフラッシュのイノベーションを振り返ってみると、実は、下記の5段階だろう。

 

当初の目標から回避して到達

 

 NANDの応用は、最初は、コンピュータの外部記憶であり、磁気ディスク、HDDの置換えだったが、予想以上に、GMRなどの磁気の技術が進歩し難しかった。そこで、応用分野を模索、それがデジタル家電や、当初予期せぬスマホ等に広がった。その後、十分にコストも下がり、初志貫徹のコンピュータの外部記憶市場(より巨大となったデータセンターという市場)に到達したのである。

 

 

 

TFT液晶のイノベーション過程も迂回

 

実は、この迂回して、初期のターゲット市場に到達するというパターンは、NANDフラッシュだけではない。同様の過程を経て、巨大市場となったのが、TFT液晶である。

 

 

どこまで普遍化できるか

 

 このパターンは、半導体やディスプレイなどデバイス分野では、ある程度、普遍的であり、二次電池でも、当初のアプリ、PC向け、EVというパターンでは、同様かもしれない。

 

 すなわち、イノベーターは、最初は、巨大市場を妄想するが、それは多くの課題があり、まずは、その技術で可能な別の応用、キラーアプリを見つけ、そこで、技術のコストも下がり、また、思わぬ巨大市場が登場する。そこで、はじめて、元来の市場に回帰、初志を貫徹するのである。