アクテビティトは、東芝の価値は技術者にあることを再認識せよ

注目された25日の東芝の株主総会は、永山議長再任など会社側提案が否決された形で終わった。綱川CEOが暫定議長、戦略委員会も、ファンド外国人が中心となった。

マスコミや、資本主義関係者やアカデミックの識者の多くは、これが、日本のガバナンス改革になる、と前向きに捉える一方で、政府などは、国家安全保証の観点から懸念を呈している。また、永山氏不在の中で、先行きを不安視、混迷が深まり、事業のばら売り、解体、非上場化などの憶測も出ている。

 マスコミ、アカデミック、ファンド、政府等も含め、関係者で、ほぼ一致しているのは、東芝の問題は、文化やガバナンスであるが、その価値は技術力である。それでは、技術力とは何か、それには、知財や、設備などもあろうが、突き詰めれば、技術者であろう。それが、ハイテク企業の東芝の主人公であり、そのポテンシャルを最大限引き出し、収益に結びつけることが経営であり、ガバナンス体制でもある。

 多くの関係者の議論で欠けているのは、主人公である技術者のモラルである。ガバナンス強化もいいが、混迷が深まり、事業のばら売り、解体、非上場化などの場合、技術者たちの行動である。数年前から、既に、優秀な技術者は去り、また、ヘッドハンティングも増えている。その中には、政府や同盟国が懸念する他国への転職もあるだろう。

せっかく、少し落ち着き、これから成長シフトという中で、技術者のモラルダウンどころか、転職が増えれば、東芝の価値は棄損する。車谷氏の退任も、CVCによる非上場化が原因だが、真因は、社内幹部の不支持だ。リストラだけでは、技術者のモラルが下がるからだ。

 今回の株主総会を、ポツダム宣言受託、新しい経営陣の到来をGHQによる統治を連想する方も多いだろうし、アクテビティトの一部は、マッカーサーのつもりだろう。しかし、GHQの偉かったことは、日本人の文化を理解し、天皇を重視、利用したことだ。もし、GHQが天皇を廃し、文化や制度も含め、100%米国流を押し付ければ、反発もあり、日本人の良さも喪失しただろう。

 アクテビティトは、この歴史を理解し、東芝の技術者が、安心し(多少は微温湯を熱くし)研究開発に打ち込めるような経営陣を招聘し、そういう経営体制をするように変革をとるべきだ。そして、これからは、経産省はじめ政府とも対立でなく、同じベクトルを持ったステークホルダとして、会話し、共に、東芝の価値を最大化するように努力すべきだろう。

 世界中で、この20年程の株主資本主義から、国家安全保証やカーボンニュートラルなど公益を重視するマルチステークホルダ主義に移る中で、今回の「勝利」で調子に乗っていると、日本政府だけでなく、多くのステークホルダや世論から、反発をくらうだろう。

それどころか、日米も含め、規制強化の流れも起きるかもしれない。その場合は、逆に、私利アクテビティトの絶滅になるかもしれない。考えすぎかもしれないが、株主総会後の経産省の人事異動等も、そうしたメッセージではないか。米のリナカーン氏のFTC就任も、利益だけを追求し、公益を忘れたプラットフォーマは、時代遅れとなることを象徴している。

 

技術者あっての技術力、東芝、ガバナンスであり、ステークホルダを満足させられ、国家安全保証など公益に貢献できるのである。