デジタル日本列島改造論とデジタル田園都市構想、そして日本列島改造論との違い

今年の春頃から、デジタル日本列島改造論を提唱している。岸田総理のデジタル田園都市構想にも似ているが、その違い、さらに本来の目的と逆に却って都市集中を招いた日本列島改造論との差も考察したい。

 まず、岸田総理のデジタル田園都市構想であるが、これは故大平元総理への敬意であろうし、大平さんは故郷の香川県の故郷の様子も思い描いたのであろう。地方都市や田舎をデジタルで強靭化し、発展させるというのは同じ想いだが、人も山も川も平野も海も島も街も田舎も、動物植物自然も含めて、「日本列島」という方が、概念や対象が広いのではないか。

文科省唱歌「ふるさと」でも、最初に、「あの山かの川」ときて、「いかにいます父母、つつがなきや友がき」であり、我々の故郷のイメージは、田園だけでなく、険しい山や谷や海もあり、そこに愛着がある。防災や観光価値も含め、自然も含めてデジタルで価値を維持し増やしたい。

 次は、日本列島改造論との対比だが、日本列島改造論での人やモノのネットワークは、なぜ、東京集中をもたらしたのか?デジタルネットワークでは大丈夫なのか?という問が重要だろう。考えられるのは、下記である。

・ネットワークでの、人、モノ、情報の違い(インターネットは本質的に分散志向?)

・ネットワーク構造(アーキテクチャ)の問題(インターネットは本質的に分散志向?)

・ネットワーク+政策の問題(日本列島改造では、ネットワークを作っておしまい)

 

 

これらを明らかにして、正しいネットワークと政策を講じないと、データセンタを地方におき、ネットワークで結んでも、下手をすると、東京のデータセンタにアクセスやデータが集中しパンクし却って脆弱になる。データセンタを地方においても、人は都心に集まり、地方は更に疲弊する。これらは、現在のバラバシやダンカンワッツが切り開いたネットワーク理論で、解ってくることもあるのではないか、と思う。